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2019.11.4 減額制限超えのダウン提示を受けた中日・田島慎二が自由契約を選択せず残留「期待に応える成績を残せなかった」

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減額制限の25%(年俸1億円以下の場合)を超える大幅ダウンの提示を受けた中日の田島慎二投手(29)が25日、加藤球団代表に受諾する意向を伝えた。加藤球団代表が「連絡がありました」と明かした。

 田島は19日に、今季の推定年俸7000万円から減額制限を超えるダウン提示を受け、自由契約を選択できたが、残留することを決意した。秋季練習に参加している田島は「納得して合意しました。2年間、期待に応える成績を残せなかった。オフから来シーズンに向けて、頑張っていきます」と話した。

 また、同様に減額制限を超える大幅ダウンの提示を受けた谷元圭介投手(34)も同日、加藤球団代表に受諾する意向を伝えた。

 

中日、戦力外2選手がトライアウトへ 現役続行への挑戦、そして妻の涙で気づいた思い

 

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戦力外となった杉山、近藤が練習をともにし12球団トライアウトへ

 10月29日。雨のナゴヤ球場はひっそりとしていた。この日は休み。翌日からの秋季キャンプに備え、選手は静養していた。

しかし、室内練習場からは乾いた打球音が聞こえてくる。中に入ると、10月1日に中日から戦力外通告を受けた杉山翔大が投げる球を近藤弘基が打っていた。ともに11月12日に舞洲で開催される12球団合同トライアウトを受ける。

「チームの練習がある日は7時から9時、休みの日は10時から正午まで。迷惑はかけられないので、みんながいない時間に練習しています」

 杉山が汗をぬぐった。通算207試合。2割1分3厘。6本塁打。45打点。2016年には104試合に出場し、正捕手争いから一歩抜け出しかに見えたが、去年と今年は1軍昇格なし。中日在籍7年。28歳。妻の春香さんと暮らしている。

「僕はクビになった翌日から毎日練習しています。まだ体も動くし、やれると思っています。NPBの球団に入るのがベストですが、独立リーグや社会人からのお誘いがあれば、話を聞いてみたい。ただ、家族がいるので、ダメなら就職するつもりです」

 杉山に一番の思い出を聞いた。

「今年ですね。結果を残しても、上に呼ばれず、歯がゆかったし、悔しかった。チーム事情でサードも守りましたが、どんどんキャッチャーの出場機会が減りました。『あれ?どうしてだ?』と不安や不信になる時期もありました。でも、ふと8月上旬に『今の自分は後輩からどう映っているんだろう』と思うようになったんです。そこからですね。もう1度自ら動いて、大きな声を出して、必死になったのは。色々な心境で野球をした今年が一番印象に残っています」

杉山は練習パートナーの近藤、妻に感謝「背中を押してもらいました」「救われました」

 秋に突き付けられた厳しい現実。ただ、妻は気丈だった。

「落ち込んでいると思ったんですが、『プロ野球選手と結婚した時から覚悟はあった。まだできる。頑張って』と背中を押してもらいました。ありがたいです」

 杉山には他にも感謝している人がいる。

「弘基です。練習パートナーは本当に心強い。最初は1人でした。2、3日は平気でしたが、だんだん心が折れてくる。1週間くらいして弘基が『僕もトライアウトを受けることにしました』と言って、一緒に練習するようになった時は救われました」

 近藤のアンダーシャツには「45」という数字が。杉山の背番号だ。

「僕、野球道具を全部捨てたんです。だから、杉山さんにもらいました。僕の夢はドラゴンズで活躍すること。そのドラゴンズに要らないと言われたら、もうそこで終わり。だから、9月30日の練習後にマネージャーから『明日、球団事務所に行ってくれ』と言われた直後、ロッカーを整理したんです」

 通算40試合。1割8分4厘。3本塁打。5打点。中日在籍5年(育成1年、支配下4年)。26歳。妻の菜月さんと2人暮らしだ。近藤と言えば、2016年8月2日のデビュー戦。それは父(近藤真市)のDNAを強く感じさせる華々しいものだった。

「父も8月の巨人戦でノーヒットノーランでしたし、何かあるのかなと。2点タイムリーを打った時のランナーが享栄の先輩の武山(真吾)さんと大島(洋平)さんでした。これも何かの縁。結局、2軍でも経験のなかった猛打賞。あの試合が一番の思い出です」