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ラグビーW杯 決勝戦20%超の意味~視聴データで読むドラマチックな物語~

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ベスト4をかけた「日本vs南アフリカ」戦が視聴率40%を超え、決勝戦イングランドvs南ア」が恐らく20%を超えたラグビーW杯日本大会。

サッカーW杯に見劣りしないほど、日本戦も他国同士の試合もよく見られた大会だった。

しかも視聴率は“にわかファン”に支えられ、日本代表が敗退した後も、後半でうなぎ登りとなった。

好成績の背景には、全期間を通じてドラマチックな物語となった点がある。

その見事な展開を、視聴データと共に振り返っておきたい。

外国同士の試合でも20%超!?

大会が始まるまで、多くのテレビ関係者は“外国同士の中継”が多く予定されていることを危惧していた。

これまでは「日本人は他国同士の試合を見ることはほぼない」と信じられてきたからだ。

サッカーW杯でも、日本代表戦以外は3分の1以下の視聴率に留まることが多い。

この夏のW杯バレーボールやW杯バスケットボールでは、生中継されることすらなかった。テニス・柔道・卓球などでも、中継があっても全て日本人の試合しか登場しない。

ところが今大会の決勝戦イングランドvs南アフリカ」は、恐らく20%を上回った。

ビデオリサーチ(VR)の結果は5日(火)にならないとわからないが、関東地区で2000世帯5000人の視聴率を測定しているスイッチ・メディア・ラボ(SML)のデータでは、同試合の世帯占有率(テレビ視聴全体の中で該当番組が見られている比率)は43.5%。

夜帯に放送された“外国同士の中継”6試合を振り返っても、SMLの占有率の約半分がVRの世帯視聴率に相当している。

しかもVRのデータでは、毎週土曜のその時間帯のHUT(総世帯視聴率)は50%を超えている。つまりSMLが43.5%なので、明後日に発表されるVRの視聴率は20%超となっている可能性が高いのである。

ここで注目すべきは、他国同士の視聴率が徐々に高くなっている点だ。

9月26日「イングランドvsアメリカ」と10月4日「南アフリカvsイタリア」は、少し数字が下がっている。これはアメリカとイタリアのランキングがともに二桁で、今一つ人気がなかったためだろう。

それでも“外国同士の中継”は、視聴率が上がりにくい昼間の試合も含めて平均で10.3%。

しかも日本が敗退して以降も右肩上り。プロ野球日本シリーズの平均が一桁で終わったことを考えると、大方のテレビ関係者の予想を裏切る画期的な数字だったと言えよう。

日本代表の開幕戦

日本代表は全部で5試合戦った。

VRの視聴率は、ベスト4をかけた「対南アフリカ」戦が41.6%と、去年のNHK『紅白歌合戦』を上回った。また5試合平均30.2%は、去年のサッカーW杯ロシア大会に迫った。

長年マイナー競技に甘んじていたが、ラグビーは今回、にわかに大ブレークした格好だ。

開幕戦のロシア戦は、思わぬ苦戦で始まった。

格下のロシアにトライを先取されるわ、田村優がキックを外すわで、多くの人がハラハラした。しかし松島幸太朗ハットトリックを見せるなど、終わってみれば日本代表が底力を見せ、30対10の快勝だった。

世帯視聴率は18.3%。

及第点の数字に、中継した日本テレビの経営陣は「ほっとした」と告白していた。

“意外”続きの2~3戦

予選第2戦の相手は、世界ランキング5位(当時)のアイルランド

「ここでは善戦しておいて、最後のスコットランド戦に決勝トーナメント進出をかける」と多くのファンが思っていた。

予想通り前半は2トライを取られ、後半は9対12と3点を追う展開となった。ところが福岡堅樹が逆転のトライを決めるなどで、19対12と勝利してしまった。

世帯視聴率は19.3%。

午後3時台の開始と、数字をとりにくい時間帯にも関わらず、好記録となった。

時間帯の影響でC層から1層(男女4~34歳)が大きく落ち込んだ割に、中高年で世帯視聴率を支えた格好だった。

続く第3戦はサモア戦。

ここまで2連勝で予選突破が濃厚になったように見えたが、実は壁が立ちはだかった。2015年のロンドン大会では3勝をしながら、決勝トーナメント進出を果たせなかったのが「ボーナスポイント問題」。サモア戦では単なる勝利ではなく、4トライを決められるか否かが勝負の分かれ目と目された。

序盤は両チームともペナルティキックの応酬で、トライは1つに終わった。

16対9と7点リードで迎えた後半。31対19と勝利を決めるところまでいったが、ボーナスポイントには1トライ足りなかった。

ところが試合終了のホーンがなった後に奇跡が待っていた。ラストプレイで劇的なトライを決めて、38対19で勝利すると共に、ボーナスポイント1点を獲得したのである。

夜7時台の試合開始と好条件もそろい、世帯視聴率は32.8%と跳ね上がった。

1層~3-層(男女20~64歳)が世帯視聴率をけん引した格好だった。“にわかファン”は、ここまでで急増していた。

大健闘の日本代表

勝つか引き分け以上で決勝トーナメント進出となる第4戦のスコットランド戦。

後半2分で4トライ目を奪い、ボーナス点も含め19点差で快勝かと思われたが、ここから意外な展開が待っていた。

伝統のある強豪チームの必死の反撃にあい、日本代表は自陣での守りを強いられた。ところが耐えに耐え続け、最後は相手ボールを奪って試合を終わらせた。

これまでの3戦とは異なる展開に、視聴者は新たな感動を覚えた。

苦労の末に決勝トーナメント進出を決めた際の瞬間視聴率は53.7%、平均視聴率39.2%。

日本代表が新たなステージへと進化を遂げた試合だった。

次のただし史上初の決勝トーナメントは甘くはなかった。

前回大会で34対32の劇的勝利をおさめたこともあり、「予選の勢いに乗って、このまま勝ち進むのでは・・」という希望的観測を抱いた人は少なくなかっただろう。

ところが結果は、3対26と1トライも奪えずに完敗した。

それでも視聴率は、41.6%と40%の壁を突破した。

負けた試合とはいえ、視聴者の期待の大きさだろう。10代個人視聴率の伸びが突出しているが、子供から老人まで多くの日本人を釘付けにした試合だった。

勝戦20%突破の意味

こうして前回大会で日本代表を活気づかせ、そして今大会で実力差を見せつけた南アフリカ

その強豪が11月2日の決勝戦イングランドを下した。

イングランドを率いていたのは、前回大会で日本代表を3勝させた名将エディ・ジョーンズ。これまた日本人にとってストーリーに満ちた最終戦となった。

しかも今大会は、台風19号の影響で、予選3試合が中止になるハプニングがあった。その無念の選手たちは、被災地でボランティアをしたり、地域住民との交流を行うなどの美談を作った。

ニュージーランド代表が火付け役となった試合後のお辞儀も、感動を呼んだ。日本の観客も、相手チームの国家を一緒に歌う“おもてなし”の姿勢をみせ、海外から賞賛を浴びた。

こうした様々なストーリーが集約したラグビーW杯日本大会決勝戦

ワールドラグビーのビル・ボーモント会長は、「(日本大会は)ラグビーの印象を劇的に変えた」と述べたが、イングランド対南アのような他国同士の試合が20%を超えるのは、まさに今大会を象徴する結果だったのではないだろうか。

祖国は多くの問題を抱えている」

[ロンドン発]ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会決勝でイングランドに完勝して3大会ぶり3度目の優勝を果たした「スプリングボクス南アフリカ代表の愛称)」。“黒人初”の主将としてW杯を天にかざしたシヤ・コリシ選手(28)のインタビューに魂が揺さぶられました。

「祖国は実に多くの課題に直面しています。しかし南ア国民は私たちを応援してくれました。みんなに感謝します。祖国はいま本当にたくさんの問題を抱えています。それぞれ違うバックグラウンドを持つ人たち、異なる人種からなるチームがゴールを目指して一つになれました」

「今日はどうしても優勝したかったのです。何かを成し遂げたかったら団結する、そうすればできることを祖国のために示したいと願っていたのです」「(国民が一つになって応援してくれる)こんな南アを目にするのは生まれて初めてです」

「1995年の初出場初優勝が私たちに何かをもたらしたのは明らかです」「祖国は大きな課題を抱えています。コーチは前の試合のあと、私たちが優勝を目指すのはもう私たちのためではない、祖国の人々のためにプレーするのだと奮い立たせてくれました」

「だからこそ何としてでも優勝したかったのです。応援してくださった皆さんに感謝します。タウンシップ(今でも貧困に苦しむ黒人居住区)で暮らすみんな、違法なバーやクラブで飲んでいるみんな、ホームレスのみんな、すべての地域のみんな、応援してくれてありがとう」

「一つになって力を合わせれば何でもできる」

南アフリカを心から愛しています。一つになって力を合わせればどんなことでもやり遂げることができるのです」。スプリングボクスのオール・フォー・ワンの魂を込めたスクラムイングランドを完璧に打ち砕きました。南ア国民の夢を乗せた渾身のトライを決めたのです。

スクラムで押せなければ試合に勝つことはできません。イングランドFWは南アFWにどうしてこれだけスクラムで押し込まれるのか理解できなかったのではないでしょうか。

コリシ選手は白人のレイチェル夫人と息子と娘の4人で試合会場のファンに感謝を捧げ、「国民和解」のメッセージを改めて世界に発信しました。コリシ選手が生まれたのは1991年6月16日。アパルトヘイト(人種隔離)政策が廃止される前日です。

アパルトヘイトは生活のあらゆる面で人種差別を強制する悪名高き非人道的な制度でした。タウンシップで生まれたコリシ選手は家族がテレビを買う余裕がなかったため、南アの2度目のW杯優勝(2007年)を大衆酒場で観戦したそうです。

12歳の時、コリシ選手はラグビー用ではないボクサーパンツをはいてジュニアチームのトライアルを受け、才能を認められました。しかし16歳になるまでに、自分を育ててくれた祖母、母親、おばさんは全員亡くなり、異父兄弟と離れ離れになってしまいました。

コリシ選手は7年ぶりにタウンシップで再会した2人の異母兄弟を引き取ってレイチェル夫人と一緒に育てました。そしてこの日の決勝戦を観てもらうため父親を初の海外旅行に招待しました。父親は東京ディズニーランドも楽しんだそうです。

レインボーネーション(虹の国)

95年のW杯初優勝の時“黒人”選手は今年9月に亡くなった快速ウイング、チェスター・ウィリアムズ氏1人でした。今大会は非白人の選手は31人中12人もいます。

コリシ選手は、黒人初の大統領ネルソン・マンデラ氏(故人)が唱えた「レインボーネーション(虹の国)」初の“黒人主将”としてスプリングボクスのエンブレムを胸にW杯を持ち上げることが国民にとって何を意味するのかを十分理解していました。

日本では自らのプレッシャーを和らげるため「楽しみたい」と話す代表選手が増える中、コリシ選手とスプリングボクスは国を代表して戦うという意味を改めて私たちに問いかけています。

南アフリカ英国大使(1987~91年)を務めたロビン・レンウィック元上院議員の著作『いかに国家は盗まれたか 南アフリカの腐敗』出版に合わせた講演会を取材したことがあります。

アパルトヘイトを撤廃し、マンデラ氏が南ア初の全人種参加選挙を経て大統領に就任。南アは多人種の融和を目指す「レインボーネーション」と世界中の称賛を集めます。しかしマンデラ氏が一線を引いたあと腐敗まみれになります。

レンウィック氏はこう話します。「マンデラ氏はスポーツの大ファン。スポーツを非常に重要な要素と見なしていました。14人の白人と1人の“黒人”からなるスプリングボクスを国民和解のシンボルとして活かしたことを覚えておられる方もいるでしょう」

「彼は非常によく理解していました。白人社会の経済的な貢献なしに南アが繁栄できないことを。彼はスプリングボクスの主将のジャージを身につけた時、ヨハネスブルグのエリス・パーク・スタジアムは約6万3000人のアフリカーナー(白人)らで埋め尽くされていました」

マンデラ氏の後継者の堕落

マンデラ氏の後継者タボ・ムベキ氏は残念なことにマンデラ氏へ強い反感を持っていました。その次のジェイコブ・ズマ氏は腐敗の底なし沼にはまります。ズマ氏ら亡命先から帰国した反アパルトヘイトの闘士たちはオカネに困り、地元ビジネスマンの援助を受けます。

レンウィック氏によると、ズマ氏はインド系財閥に篭絡(ろうらく)され、5年間に2000億ランド(1兆4400億円)が南アから盗み出されます。腐敗を追及する者は官職を追われ、南ア捜査当局は腐敗を守る犯罪者の巣窟になります。殺人で有罪になった男が捜査幹部になったケースもあるそうです。

この日、試合会場に応援に駆けつけたシリル・ラマポーザ大統領は「1995年から長い道のりをやって来た。私たちは多様で団結した国、ネルソン・マンデラの国であることを世界中に示している」「私たちはチャンピオンだ」とツイート。

 

南アフリカ代表初の黒人主将、シヤ・コリシ。ワールドカップ日本大会優勝へ。【ラグビー旬な一問一答】

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シヤ・コリシは、ラグビー南アフリカ代表史上初の黒人主将だ。

 2019年11月2日には、イングランド代表とのラグビーワールドカップ日本大会決勝にフランカーとして先発(神奈川・横浜国際総合競技場)。遡って1日、共同取材で意気込みを語った。

「レインボーネーション」と言われる多民族国家の主将として、自分たちが勝つことの意義に言及する。

 以下、共同取材時の一問一答の一部(編集箇所あり)。

――特別な気持ちをどう対処するか。

「感情をうまくコントロールすればパフォーマンスは上がります。ただ、明日はひとつの試合ではないです。特別な試合です。そんなチャンスを与えられる人はそう多くない。チームとして正しい方向で気持ちの管理をしていきたい」

――次が50キャップ(代表戦出場数)目です。

「あまりそのことは考えていません。一番大事なのは、とにかくチームに貢献するということ。どの選手もそう思っているでしょう。50に達したのは嬉しいですが、大きいのは明日立派に試合するということ、その他のことは二の次です」

――対するイングランド代表のエディー・ジョーンズ監督は、相手が用意したゲームプランをやらせないのが上手。どう対処するか。

「それが、テストラグビーです。私たちは毎週、そういう経験をしている。相手はできる限りゲームプランを実行できないようかく乱してくる。それはいつものことです。エディーさんはスマートなコーチですが、私たちも優秀なコーチがついている。特別なことではないです」

――ラシー・エラスムス監督は、「コリシ選手を主将にした当初は、本当にこれでよかったのかと思うことはあった」と話していました。

「最初は大変でした。自分が主将になることは国の大きなニュースになりました。最初はイングランドツアーに参加しました。私としては最大限のプレーをしたつもりでしたが、重荷でした。しかしチームのコンディショニングコーチが有能で、スーパーラグビー(国際リーグ)の間にしっかりコンディショニングを整えることができました。おかげでプレーにフォーカスできるようになり、試合で任務を遂行できるようになった。リーダーシップはハンドレ・ポラードとも共有している。私たちが明日トロフィーを掲げられたら、国にとっても大きなこと。私にとってどんな意味を持つかという個人的なことではない。チームに、選手それぞれの人生にとって(大切)。今度の勝利はどこ出身であるかに関わらず本当に意味があることだと話してきました。本当に重要な決勝です」

――決勝の舞台にはお父様が来るそうです。

「父が海外の試合を観に来るのは初めて。そういう状況を作ってくれて、大変嬉しいです。父は今回、初めて外国に出たんです。父は私の親友であります。私がラグビーをすることで家族にこのような経験をさせられて嬉しいです。ちなみに父が私のラグビーを観るのは2回目。そして、海外での生観戦は1回目です」

――南アフリカ代表は1995年の自国大会で初優勝。国がひとつになりました。

「当時はまだ小さかったので、その様子はビデオで観ただけです。ただ、ビデオを通しても本当に素晴らしいと映りました。2007年のフランス大会優勝は、リアルタイムで体験しています(自宅にテレビがなく、近所の居酒屋で観戦した様子)。あれは大きな変化を国にもたらしました。それ以降、私はこのチームのためにプレーしたい気持ちが強くなった。大統領も議会で言っています。『皆でスプリングボクス南アフリカ代表)のジャージィを着てテレビを観よう』と。国にとってラグビーは大きな意味を持つ。

 色々な人種がいる。それを世界に見せたい。人々が結び付ければ大きなことを生み出すということを、見せたいんです。立てた計画を信じて全力を出し切る。それがどういうことか、ここにいる3人(会見した自身、ポラード、ムズワンディル・スティックコーチ)もわかっている。明日トロフィーを獲得したら、国がどんな騒ぎになるか。想像もできません」

 相手の名将による無形の圧力へは、敬意を示しつつ「それがテストラグビー(代表戦)」と平然。母国における自分たちの影響力も淡々と述べる。ちなみに今大会で初の8強入りを果たした日本代表は、この戦士が先頭に立つ南アフリカ代表と準々決勝で対戦している。


2019.11.2 イングランド代表VS南アフリカ代表 2019ラグビーワールドカップ決勝戦

 

【にわか論】ラグビーW杯もそうだった。日本は変わった? ”大会盛り上がり時期”が後ろ倒しに【コラム】

ほんの1ヶ月前の日本社会を思い出してみていただきたいのだ。

ラグビーの「ラ」の字もなかったのではないか。

最終的に大会を花咲かせた関係者の努力には大いなるリスペクトしかないが、実態はそうだった。「東洋経済オンライン」にはこんな記事が掲載されていた。

ラグビーW杯の『テレビ中継』は盛り上がるのか 視聴率王者・日テレが抱く期待と不安」

大会開幕日の9月20日のことだ。

ところが「にわかファン」という流行語が生まれるなど、大きな盛り上がりに繋がった。それが始まったのは、明らかに「大会開幕後」だった。

ここからは、筆者の感覚も大いに含まれる仮説の話だ。

「日本でのスポーツメガイベントの盛り上がり時期が“後ろ倒し”になっているんじゃないか」

昔は大会前など、もっと早い時期から盛り上がっていたのではないか。

書くか書くまいか、迷った。何かを記すのであれば、仮説だけではなく「誰かに取材に当たって実証するところ」までを記すべきだ。

しかしこのテーマについていくつかの対象に申請を出してみたが、「専門外」「時間が足りない」「話が漠然としている」などの理由でラグビーW杯決勝の終わるこの日に間に合わなかった。

だから仮説のままで記す。大いなる批判、ご指摘、そしてこのテーマを語っていただける専門家をご教示いただければ幸いだ。

きっかけ。平昌五輪から。大会10日前に「平壌に行くの?」

過去――例えばサッカーの98年フランスW杯や、02年日韓W杯では半年前くらいからこの話題は盛り上がっていた。スポーツのメガイベントがある場合、遅くとも大会の1ヶ月前から盛り上がっていた記憶がある。マーケティングもそうだろうし、原稿を書く者もそうだ。大会前の期待に胸踊る時期が、勝負時と考えてきた。

しかし近年はこんな傾向にあるのではないか。

大会前は盛り上がらず、大会開幕後に盛り上がり始める。つまり、日本社会が少し変化しているのではないか、という話だ。

近年の平昌冬季オリンピック、サッカーロシアワールドカップ、そして今回のラグビーワールドカップを通じて特に感じることだ。

なぜそんなことを思い始めたかというと、筆者自身、2018年2月の平昌五輪の際に「浦島太郎状態」になったからだ。

大会前の2月上旬、まったく話題が盛り上がっていなかった。むしろ「盛り上がらない」という話題が少々盛り上がっていた。その頃、渋谷区のスポーツジムの受付の女性(大学生。青木さん)に「ピョンチャンに五輪の取材に行ってきます」と告げた。すると「え、ピョンヤンに行くんですか?」と聞き返された。「それ、北朝鮮」とツッコミ。大会があることもまったく知られていなかったのだ。

しかし、現地取材を終え大会中盤に東京に戻ったところ、真逆の現象が起きた。周囲は五輪の話で大盛りあがり。スケート、カーリングのことをむしろ聞きまくられる状態になった。

この年の6月に行われたサッカーロシアW杯でも似た現象が起きた。大会前はさっぱりだったが、グループリーグ第2節を終えて現地取材から帰国すると、皆がサッカーの話題で大盛りあがりだった。決勝トーナメントに入ると、まったく興味を持っていなかった20代中盤の女性が「こんなにおもしろいとは知らなかった」と夢中になっていた。

当時のメディアの記事から。”助走期間がない”、2010年にも”笛付けど踊らず”

「盛り上がった」「盛り上がらない」という表現が抽象的ではある。そこで、サッカーロシアW杯時の”他者の証言”を。スポーツニュースサイトの「VICTORY」は大会開幕の約20日前(2018年5月25日)にこんな記事を掲載していた。

開幕まで1カ月を切ったとは思えないサッカー・ワールドカップ

(中略)スポーツ界のビッグイベント、サッカーのFIFAワールドカップですが、ハリルホジッチ監督の突然の解任などもあり、過去の大会の同時期に比べて盛り上がりに欠ける、活気が見られないとの声が多くあります。

横浜DeNAベイスターズ前球団社長の池田純氏は、こうした空気感をサッカーの現場で目の当たりにしたと言います。

「先日、パナソニックスタジアム吹田で行われたJリーグガンバ大阪浦和レッズの試合を観戦する機会がありました。前日には日本代表候補が西野朗監督の口から発表され、この試合にも3人の代表候補選手が出場していました」

池田氏が指摘したのは、人気、実力ともにJリーグ屈指の両クラブの対決、しかもワールドカップメンバー候補に選出された選手が出場するというニュース性があるにもかかわらず、そのバリューが世間に伝わっていないということでした。

実際、この日の観客数は2万5361人で、今シーズンの吹田スタジアム開催としては、1万人台で推移した過去2試合よりも多いものの、セレッソ大阪との大阪ダービー(3万5242人)、開幕戦となった名古屋グランパス戦(2万8681人)と比べるとやや物足りない数字に終わっています。

池田氏は、ガンバのGK東口順昭、レッズのDF槙野智章、MF遠藤航と3人の代表候補が出場しているにもかかわらず、それが集客につながっていないというのが「なんとなく盛り上がらないワールドカップ」の象徴的な例だといいます。

記事では池田氏による「ビジネスサイドで考えると”助走”(つまり事前の盛り上がりが)の時期が必要」「平昌五輪でも似た状況だった」とするコメントも紹介されている。

しかし。

大会は開幕後に一気に盛り上がっていった。

これは2018年に始まったことではない。

遡ること9年。南アW杯を控えた2010年5月18日には「DIAMOND ONLINE」が「W杯直前でも全く盛り上がらないのは、日本のサッカーファンが成熟した証か」という記事を掲載した。

 2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会開幕(6月11日)が、あと3週間あまりに迫った。

 しかし今のところ日本では、盛り上がりがほとんど感じられない。代表メンバーが発表された10日には放送各局が大々的に取り上げ、サッカー解説者がメンバー構成の論評や展望を語ったが、世間は「笛吹けども踊らず」といった反応。選考メンバーに対する賛同や批判が沸き上がることもなく、冷めた状態のままである。

 日本代表がW杯に出場するのは4大会連続4回目だが、過去3回はこんな空気ではなかった。初出場の98年フランス大会の時は多くの人が開幕を指折り数え、日本選手がW杯本大会のピッチに立つ姿を見ただけで感激したものだ。02年日韓共催大会も、06年ドイツ大会も開幕が近づくに従って人々のボルテージは上がっていった。それに比べると今回は信じられないほど静かだ。

つまりは、ここ10年で徐々に傾向が固まってきているということだ。

にわかが生まれる背景

本論、粗い面も大いにある。いくらここ2年の話とはいえ、サッカーと冬季五輪とラグビーの大会についてひとくくりにしている。日本開催、海外開催の基準もバラバラ。ラグビーはましてや、前者の2つと比べて日本社会にとってかなり新しい楽しみとといえる。

さらにこういう反論も成り立つ。

”結局、日本勢の成績がいいから、盛り上がってるんじゃないか”

しかし、いっぽうでこの3つの目がイベントを繋ぐ一本の糸がある。

インターネットメディアの影響力の変化。

1995年が日本での「インターネット元年」と言われる。その後のネットメディアの台頭はいうまでもない。上記引用記事のサッカー南アW杯の行われた前年、2009年に業界全体の広告費が新聞を上回った。

今回のラグビーで話題になった”にわか”のファンも、多くはスマホから情報を得てきた層ではないか。

 

少しだけ、読者諸兄にとって”釈迦に説法”となる話を。

既存のテレビや新聞では、編者が時間や紙面スペースの制限のなかで「今、これが重要だよ。知っておくべきです」という情報を伝える。順序や長さで優劣をつけながら。するとユーザーは関心のない話題に対しても、多少は目に触れることになる。昔はテレビや新聞、あるいは(特にサッカーの場合)雑誌を通じて、オリンピックやワールドカップなどのビッグイベントの情報を得ていた。

いっぽう、情報をスマホやPC、つまりインターネットから取る場合は違う。「自分が知りたい情報だけを取る」という現象が起きる。ポータルサイトなどで見たい情報だけをクリックし、深めていく。知りたいことを検索して、どんどん深めていく。SNSでは多くの場合、近い属性の人達と繋がっているだろうから、”外の世界の情報”は入ってきにくい。日本に必ずラグビーファンは存在するのだが、そもそもの繋がりがない限り、そこに接触する機会がなかなか得難い。テレビや新聞だと大会情報として伝わってきたはずのものだ。

これを「フィルターバブル」という。これをテーマにした2018年12月のNHK調査によると、20代のじつに45%が「自分が知りたい情報だけを知っていればいい」と返答したという。

つまりは、大会前までは、インターネットの「フィルターバブル」により意外と情報が伝達していかない。

そういったなかで、現場が華やかだったり、結果がいいとSNSで話題になりはじめる。大会が始まってこそ、SNSで使われる「絵」が出てくるのだ。平昌五輪と今回のラグビーW杯で共通だったのは、外国人ファンの入国によって盛り上がりが変わったという点だった。

次にテレビが爆発力な加速に力を発揮する。なぜかというと、情報の核たる「試合中継」はテレビが圧倒的な力を発揮するからだ。追加の情報もテレビで追うようになる。そこで見たものが、ネットの記事やSNSで再び語られていく――。

今回ラグビーW杯での「にわか」誕生も、こういう構図だと言えないか。

今後。「余韻」が重要なビジネスチャンスに!?

メディア論については、すでに他で言われている話が多い。本稿で何が重要かというと、原因ではなく、現状だ。20年来進んできた日本社会でのインターネットの進化の実態が、ここに現れているという点。スポーツメガイベントの盛り上がりが”後ろ倒し”になってきた。そしてネット化の影響は大いにあるが、テレビはやっぱり決定的な仕事をしている。

「先:ネット・静か 中:テレビ・爆発 後:ネット・持続」

スポーツに限らず、どんなコンテンツでもコアファンがいて、そこににわかファンが乗り、一気に話題となっていく。そういったなかで、従来は勝ち負けのあるスポーツビジネスのチャンスは「大会前の結果を待ってワクワクする」という消費者心理にあったはずだ。しかしここからは「大会開幕」あるいは「余韻」も重要なキーワードになる。消費者は大会が始まって初めて「こういうことか」と知るのだ。いっぽうで、結果が伴わないと、本当に「盛り上がりどころがない」という事態に陥りうる。

東京五輪はどうなるだろう。少しこの近年の流れの”例外”となるか。この点に注目している。ラグビーW杯の熱が少し残ったまま、来年の7月24日を迎えるのではないか。つまりは、もう少し早い時期から盛り上がっていく。そんな予想をしている。

【参考までに】筆者は2018年6月にこういった原稿を書いていました。しかし当時の論より、事態は“後ろ倒し”に。「大会直前」ではなく「大会開幕後」へと移っています。


2019.11.2 ラグビーワールドカップ イングランド代表VS南アフリカ代表 決勝戦